作り手がいて、素晴らしい音楽がある。

わたしたちJASRACが大切にしているのは、
音楽の作り手たちを守ること。
そしてつねに公平であること。
心に響く音楽をもっとひろげていくために。

作曲は、天職。
つくるべき曲は、
天から舞い降りてくる。

湯山 昭 作曲家

「おはなしゆびさん」「あめふりくまのこ」などの童謡からピアノ曲集
「お菓子の世界」まで、世代を超えて親しまれる曲を多数作曲

作り手がいて、素晴らしい音楽がある。

インタビューシリーズ vol.3

「諏訪町の放送局」
と呼ばれていた少年時代。

Q 先生と音楽との出会いについて教えてください
A 私は神奈川県の平塚で生まれ育ったのですが、父は私が一歳半の時に病気で亡くなりました。一緒に暮らしていた祖父も小学校3年の時に亡くなってしまい、それ以降は母ひとり、子ひとりの生活を送ってきました。母は小学校の教師をしていたので昼間は勤めに出かけます。ですから、私は小学校から帰るとひとりで過ごすしかありません。そんな時、寂しさを紛らわせるために大きな声で歌を歌っていたのです。それが音楽にまつわる最初の思い出ですね。
Q その頃はどんな歌を歌っていたのですか
A 母と観た映画「支那の夜」の主題歌だった「蘇州夜曲」という歌が気に入り、一回で覚えてしまいました。その歌や自作の曲を自宅の庭の木に登り、太い枝に腰掛けながら大きな声で歌っていました。当時住んでいた家は諏訪町というところにあったのですが、毎日毎日木の上から大きな歌声が聴こえてくるものだから、近所の人からは「諏訪町の放送局」と呼ばれていたんですよ(笑)
Q その後、ピアノ教室に通い始めましたね
A はい。小学校4年生の時に、母の教え子のお母さんがやっていたピアノ教室でピアノを習うことになりました。本当は大好きだった歌を習いたくて戸惑いもあったのですが、バイエルを弾きはじめる頃には完全にピアノの魅力にとりつかれましたね。中学受験のためにレッスンを中断するまでの約三年間、バイエルから始まってソナチネ、やさしいソナタなどを教えてもらいました。いま思えば、これがクラシック音楽への入口でしたね。
Q 中学・高校ではどのような音楽活動をされたのですか
A 中学では入部した吹奏楽部でトロンボーンを担当し、中学2年の頃にはバイオリンを始めました。この時バイオリンを習ったことが、のちの作曲にたいへん役立ちましたね。このようにさまざまな楽器に触れましたが、やはりピアノへの思いはとびきりでした。そこで高校では合唱部に入りました。ほら、合唱には伴奏のピアノが必要じゃないですか。伴奏を担当すればピアノが思う存分弾けるぞ、と期待していたのですが、小・中と音楽経験があり、楽譜が読めた私は指揮者に選ばれてしまって(笑)。ちょっとアテが外れた気分でした。ですからピアノを弾くのは、合唱部の練習が終わってから。それでもピアノを弾くのは本当に楽しい時間でしたね。

素晴らしい先生方との出会い。
それが音楽の高みへと導いてくれた。

Q 高校卒業後の進路はどのように考えていたのですか
A 当時の私には音楽専攻の道へという思いはありませんでした。経済的に母に負担をかけるのは気がひけましたし、家にピアノがありませんから音大受験に必要なピアノの実技をレッスンすることもできません。しかし、合唱部の練習後にいつも残ってピアノを弾いていた私の姿を音楽の先生が見ていてくれたのでしょうね。高校3年の文化祭の日、合唱部のステージを見にきた母に東京藝大作曲科の受験を強くすすめてくれたのです。その結果、母も先生の説得に折れて東京藝大の受験を認めてくれました。
Q 受験勉強は大変だったのではありませんか
A それはもう。東京藝大の受験を志したのが5月で、年明けの試験日まではたった8ヵ月。その短期間のうちにピアノの実技試験にパスできる技術はもちろん、和声進行など音楽の本格的な知識も身につけなければならないのですから。そこで高校の音楽の先生を通じて、日本の音楽教育と作曲教育に多大な功績を残した池内(いけのうち)友次郎先生にレッスンをお願いしたのです。私の自宅があった平塚から池内先生が住んでいらした東京の西荻窪までは片道約2時間半。毎週土曜に往復5時間を費やして先生のところに通い、レッスンしていただきました。おかげで東京藝大作曲科に合格することができたのです。高校時代の音楽の先生である鏑木欽作先生と池内友次郎先生は、作曲家としての人生を切り拓いてくれた恩人ですね。
Q 大学入学後、いよいよ作曲を始めることになるのですね
A 大学3年の時、自宅を抵当に入れてついにピアノを購入しました。子どもの頃から恋い焦がれていたピアノをようやく手に入れたからでしょう。猛然と作曲に対するやる気が湧いてきました。そこで書きあげたのが「バイオリンとピアノのためのソナチネ」です。できあがった曲を池内先生に見ていただくと、「よくできているね。NHK・毎日新聞社共催の音楽コンクールに応募しなさい」と言われました。そこでコンクールに応募すると、うれしいことに入賞したのです。さらに、その翌年に応募した「弦楽四重奏曲」も2位に入賞しました。2年連続で入賞したことがNHKのディレクターの目にとまり、ラジオ番組「幼児の時間」の音楽を担当することになりました。その番組用に書いた最初の曲が「おはなしゆびさん」です。放送するやいなや全国からリクエストが殺到しましてね。それはそれはすごい反響でした。

いま、この瞬間に集中にする。
それが、創造のエネルギー。

Q 先生の創造の源を教えてください
A やはり子どもの頃からずっと音楽が好きだったということが大きいですね。それに加えて、私の生い立ちも関係していると思います。私はひとりっ子でしたから、何事も自分で考えて行動しなければなりませんでした。さらに、中学1年生の時には平塚で大空襲を受け、九死に一生を得ました。その時、子どもながらに「人生は何が起こるかわからない」とつくづく実感したのです。「人生は何が起こるかわからない。だからこそ、いまこの瞬間を大事に集中しよう。大好きな音楽に前向きに取り組もう。」という想いがエネルギーとなって創作を支えているのだと思います。
Q 先生はどのようなスタイルで作曲をなさるのですか
A 「作る」というよりも、天から旋律が降ってくるのを待っているイメージです。詩に曲をつける時には、あらかじめ詩を読んで体の中に染み込ませたらそのまま寝かせておく。詩がない器楽曲をつくる時には、ピアノの前に座り鍵盤を叩きながら遊んでいる。そうするとまさに天から降ってくるかのように、自然にメロディが湧き上がってくるのです。もちろんプロの作曲家ですから移動中の新幹線の中でも曲はつくれます。でも、それは決してやりません。なぜなら車内や街に流れている雑多な音に引きずられるようなことは万にひとつもあってはならないと考えるからです。作曲のスイッチを入れるのは、朝9時に自分のピアノの前で。そして夜の19時には作業が途中であってもスイッチを切ります。ずっとこのスタイルを続けていますが、今までに一度も締め切りに間に合わなかったことはありません。
Q いままでにどのくらいの数の曲をつくったのでしょう
A 正確に数えたことはありませんが、少なくとも千数百曲以上はつくっていると思います。その中には、童謡の「あめふりくまのこ」や現在147版を数えるピアノ曲集「お菓子の世界」などロングセラーやベストセラーも含まれています。

著作権使用料に公平性という視点を。

Q 著作権についてはどのようなご意見をお持ちですか
A 私のつくった曲は楽器教室などで使われる楽譜にも数多く収録されています。もちろん楽譜をきちんと購入されている教室が多いのでしょうが、必要な部分だけコピーして配布している教室も少なくないのが残念でなりません。自分が書いた曲は、愛すべき子どもと同じです。親としては自分の子どもが公平に扱われてほしいと願うのが当然ではないでしょうか。
どうか「公平性」という観点からも、楽器教室の皆様には著作権使用料についていま一度お考えいただきたいと願っています。著作権使用料は、次の創作の励みです。私が初めて著作権使用料をいただいたのは大学卒業後すぐのことでしたが、その時のうれしさは今も心に残っています。現在の若い作曲家や作詞家の方も著作権使用料をいただけることにやりがいや喜びを感じていると思います。
Q 最後に先生のような作曲家を目指す若い方たちへのメッセージをお願いします
A 趣味の作曲であれば自己満足のためでも良いでしょうが、仕事で作曲をするのであれば、自分の手元から羽ばたいていった曲がどれほど多くの人に喜びや感動を与えられるかをきちんとイメージして取り組むことが必要です。そんな強い気持ち、固い決意で曲づくりと向き合い、自分にしかつくれない旋律を紡いでいってほしいと思います。
インタビューこぼれ話
『「あめふりくまのこ」誕生秘話・・・』

「♬おやまに あめが ふりました〜」という歌詞で始まる童謡「あめふりくまのこ」。湯山 昭さんが作曲した、世代を超えて愛されている名曲です。しかし、実は作詞家の先生から最初に湯山 昭さんに渡された詩は「あめふりくまのこ」ではなく、雨をテーマにした別の詩でした。ところが、その詩を何度読んでもピンと来ず、メロディが浮かんでこない。そこで湯山 昭さんは、ちがう詩を書いてもらえるようお願いしたそうです。そして次に送られてきた詩が「あめふりくまのこ」。こちらは瞬く間にメロディが浮かび、わずか1時間半ほどで曲が完成したといいます。もしも最初に送られてきた詩で作曲していたら、名作「あめふりくまのこ」は永遠に生まれることはなかったのです。湯山 昭さんが自分が書いた曲のなかでも会心の一作と語る「あめふりくまのこ」にはこんな誕生秘話がありました。

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