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[プロフィール] 1955年生まれ。東京大学理学部で地理学を学ぶ。卒業後は、主として文部省・文化庁で勤務。経済協力開発機構(OECD)で1981年−82年(科学政策課)と1987年−90年(教育研究革新センター)の2度勤務した後、1995年−99年まで文化庁国際著作権課長として「WIPO新条約」の策定に参画。その後1999年から2年間、IT政策に関する総理直属のタスクフォース・メンバー等を務めた後、2001年1月から著作権課長。 著作に「マルチメディア時代の著作権」など。
[プロフィール] 1984年全国朝日放送株式会社(テレビ朝日)入社、経営企画局情報システム部を経て2001年に社長室メディア戦略部に勤務、その後2002年2月に株式会社トレソーラに移りサービス企画部長に就任、現在に至る。 ※株式会社トレソーラ/「TBS」「フジテレビ」「テレビ朝日」の民放3局が2002年1月に設立したブロードバンド環境に対応したデジタルコンテンツの有料配信等のサービス展開を検討することを目的として発足させた企画会社。
[プロフィール] 1967年株式会社東京放送入社、ラジオ局、報道局を経て、テレビ編成局編成部長、スポーツ局スポーツ部長、経営企画局専任局長、事業局メディア事業センター長兼メディア事業部長を歴任。 2001年BS会議事務局長、テレビ編成局、メディアライツ推進部長等に就任し、2002年株式会社トレソーラ代表取締役社長に就任、現在に至る。
[プロフィール] 電気通信大学卒業後、北海道放送へ入社し技術局勤務を経て1963年東京12チャンネル(現テレビ東京)へ移り、制作技術・技術開発・営業・ソフト事業部長を歴任、1985年テレコムジャパン取締役社長就任、通信衛星サービス会社テレコムサット常務取締役を経て、1994年都市型ケーブルテレビ・シティーテレビ中野へ入社制作編成部長、1995年社団法人全日本テレビ番組製作社連盟専務理事に就任。 文化庁私的録画補償金管理協会理事を始め総務省、経済産業省等で番組制作、著作権等の各種委員に就任。
[プロフィール] 1950年生まれ、18歳の時、自分の部屋に貼ってあったフォーク・クルセダーズ解散コンサートのポスターを見て、高石事務所(のち音楽舎)にアルバイトの問い合わせをしたところ、正社員ならと言われ、その日のうちに入社。はしだのりひことシューベルツ、はしだのりひことクライマックスのマネージャーとなる。 4年後、(有)サブ・ミュージック・パブリッシャーズを設立、杉田二郎、オフコース、ザ・バットボーイズ、シュリークスを手がける。その後、ベイシティーローラーズ、ロッドシュチュアート他の外国人タレントの招聘を経て、1979年(有)オフコースカンパニー入社、1983年再び独立し、(株)上野カンパニーを設立、安倍泰弘、鈴木祥子、ZELDAを手掛ける。1991年(社)音楽制作者連盟理事・事務局長に就任、1999年常務理事長に就任、現在に至る。
[プロフィール] 社団法人日本音楽著作権協会へ入社後、業務局東北支部支部長、第一業務局西東京支部支部長、総務局人事部長等を経て、1998年社団法人日本音楽著作権協会常任理事、2001年常務理事に就任、放送、ネットワークを中心に担当。現在、財団法人音楽産業・文化振興財団(PROMIC)副理事長、文部科学省文化審議会著作権分化会専門委員(放送小委員会)、また海外関係団体ではCISAC理事会/JASRACの理事長代理、CISACアジア太平洋委員会副委員長等。
[プロフィール] 1983年東京大学法学部卒業後、助手を経て学習院大学法学部助教授(行政法・知的財産法)、1989年から3年間マックス・ブランク知的財産法研究所(ドイツ・ミュンヘン)に於いて知的財産法の研究、1990年東京大学法学部助教授、1997年東京大学先端科学技術研究センター教授(知的財産法)に就任、1999年ジョージ・ワシントン大学ロースクール(米国・ワシントンDC)に約1年在籍、現在に至る。 その他、政策研究大学院大学客員教授、知的財産研究教育者国際協会理事、日本公共政策学会理事等。